”開港場、横浜” 集められた商人たち
幕府は横浜を開港の地とし、安政6年開港しました。集まったというより集められたであろう商人たちの配置を紹介します。



開港された横浜はどんな商人たちが居たのでしょうか。出店した商人たちの詳細を紹介します。
自分から進んで開港場横浜に進出した商人は稀だと予想します。
何せ攘夷活動の盛んな頃で、いつ攘夷浪士に襲われるかもしれない。また、外国に何が売れるのかも分からないというリスクが大変大きいのです。
このような状況で出店した商人たち、ほとんどは幕府から強制的に出店を要請されたようです。
幕府(外国奉行)の管轄ですので、出店者もいかがわしい者はないと予想します。何せ幕府は日本の評判を落とさないように気をつかっているはずで、外国奉行の立場・評判維持も無視できないでしょう。(詳細は別途紹介します)


商人配置図を見ることができます。上の地図を参考に下記をクリックすると詳細な商人配置にリンクしています。
商人
配置は種々なものがありますが、ここでは横浜市史、開国の先覚者中居屋重兵衛(新人物往来社)、神奈川県史、瓦版の配置図を紹介しています。

1丁目、洲干町 2丁目(北側) 2丁目(南側) 3丁目(北側) 3丁目(南側)
4丁目(北側) 4丁目(南側) 5丁目(北側) 5丁目(南側)