時代は幕末、事件・人物別の年表です [2011.11.26]


右欄の日付記号について
TE 4. 2.22(1833 4 11 thu)は、天保(TE)4年2月22日、西暦 1833年 4月11日木曜日を示します。
年号の記号は..TE:天保 KO:弘化 KA:嘉永 AN:安政 MA:万延 BU:文久 GE:元治 KE:慶応 ME:明治 です。
[ ] 内の数字は満年齢です。

朝廷の施策・動向

アヘン戦争情報(別段風説書) TE11. 6.1(1840 6 29mon)
天保の改革布令 TE12. 5.15(1841 7 3sat)
朝廷が初めて幕府に海防の勅書を出す KO 3. 8.29(1846 10 19mon)
朝廷は七社七寺に外患を祈攘する KA 3. 4. 5(1850 5 16thu)
朝廷(近衛忠熙)が島津斉彬より蘭国別段風説書を受ける KA 3. 9.16(1850 10 21mon)
ペリー初来航 KA 6. 6. 3(1853 7 8fri)
朝廷(武家伝奏)は所司代脇坂安宅より米国艦退帆の報告を受ける KA 6. 6.20(1853 7 25mon)
朝廷(武家伝奏三条実万)が所司代より米国書翰訳文を受け取る KA 6. 7.12(1853 8 16tue)
朝廷は米国書翰につき議論する(外交問題初の幕府報告、幕府姿勢変化?) KA 6. 7.13(1853 8 17wed)
朝廷(関白鷹司政通)は長崎開国、朝廷内意見統一を計ることで伝奏を押さえる KA 6. 7.21(1853 8 25thu)
朝廷は米艦再来の際、「寛猛」どちらかと所司代にたずねる KA 6. 7.22(1853 8 26fri)
  
朝廷は孝明天皇の問い(7.22)に対する幕府回答(決定しだい奏上)を受ける KA 6. 8.13(1853 9 15thu)
関白鷹司政通がロシア使節渡来の実否確認を禁裏付に問い合わせる KA 6. 8.16(1853 9 18sun)
朝廷はロシア使節国書を幕府が受け取る指示があることを知る KA 6. 8.17(1853 9 19mon)
関白鷹司政通は徳川斉昭書簡(米国使節は日本を侮蔑)の天皇閲覧を指示 KA 6. 9. 4(1853 10 6thu)
孝明天皇が徳川斉昭の神宮外患祈禳建言の報告を受ける KA 6. 9. 7(1853 10 9sun)
朝廷は神宮奉幣使により四海静謐を祈る KA 6. 9.11(1853 10 13thu)
朝廷は異国船の処置は平穏を旨とするよう所司代に天皇の内意として伝える KA 6.11. 7(1853 12 7wed)
朝廷は異国船問題が天皇を悩ましているとのことで来年の和歌御会を中止指示 KA 6.12.28(1854 1 26thu)
関白鷹司政通が幕府の海防大号令を朝廷内に示す KA 6.12.29(1854 1 27fri)
  
朝廷は重ねて七社七寺の外患祈穣 KA 7. 2. 9(1854 3 7tue)
朝廷は京都守衛について評議する(譜代大名が担当、遷幸も考慮) KA 7. 2.14(1854 3 12sun)
朝廷は東照宮奉幣使による外患祈禳を行う KA 7. 3.23(1854 4 20thu)
朝廷(皇居炎上)、天皇は下賀茂社へ避難 KA 7. 4. 6(1854 5 2tue)
桂殿が仮皇居となる KA 7. 4.15(1854 5 11thu)
朝廷は所司代より米国船再来の報告を受ける(皇国の汚辱と批難) KA 7. 4.29(1854 5 25thu)
朝廷は条約やむを得ず、国防を万全とするよう要請 KA 7.U7.13(1854 9 5tue)
朝廷は改元すべき旨を幕府に伝達 KA 7. 8.23(1854 10 14sat)
ディアナ号大坂湾天保山沖に碇泊 KA 7. 9.18(1854 11 8wed)
朝廷はロシア艦隊平穏の報告を禁裏付より得る KA 7. 9.19(1854 11 9thu)
  
関白鷹司政通が井伊家先手が陣屋を定めていない上京を徳川斉昭に報告 KA 7. 9.20(1854 11 10fri)
鷹司関白、議奏東坊城が文書により幕府へ対応策をもとめることにつき相談 KA 7. 9.22(1854 11 12sun)
朝廷(孝明天皇)はディアナ号大坂湾出現で食事制限(朝廷内衆知) KA 7. 9.23(1854 11 13mon)
朝廷は神宮、諸社に祈祷(京都所司代に報告) KA 7. 9.25(1854 11 15wed)
ディアナ号が天保山沖を離れる KA 7. 10. 3(1854 11 22wed)
朝廷は所司代よりディアナ号が安治川沖合を離れた報告を受ける KA 7. 10. 5(1854 11 24fri)
朝廷は諸藩警備が解かれたとの報告を大坂城代より受ける KA 7. 10. 9(1854 11 28tue)
焼失し建築中の新内裏の造営が完成 KA 7. 11. 2(1854 12 21thu)
朝廷は所司代より寺院釣り鐘の鋳替えについて申し出を受ける KA 7. 11.12(1854 12 31sun)
朝廷は外患祈禳の神符などを将軍家定に賜う KA 7. 11.16(1855 1 4thu)
  
朝廷は賀茂臨時祭で外患を祈禳する KA 7. 11.20(1855 1 8mon)
日露和親条約締結 AN 1. 12.21(1855 2 7wed)
朝廷は「梵鐘を以て兵器を鋳造」の太政官符を下す(政令が朝廷から出た) AN 1. 12.23(1855 2 9fri)
朝廷は22社及び諸国の大社に国家安泰を祈らせる AN 2. 1. 2(1855 2 18sun)
朝廷内裏の上棟の儀が行われる AN 2. 8.24(1855 10 4thu)
日英和親条約批准 AN 2 8.29(1855 10 9tue)
朝廷(関白、議奏、伝奏)は都筑駿河守峯重より外国との条約の説明を受ける AN 2. 9.18(1855 10 28sun)
朝廷(天皇)は和親条約を嘉納し、交渉を慰労する AN 2. 9.22(1855 11 1thu)
御所全体の造営竣工、孝明天皇が新皇居に移動する AN 2. 11.23(1855 12 3mon)
関白が鷹司政通から九条尚忠に交代 AN 3. 8. 8(1856 9 6sat)
朝廷(武家伝奏)がハリスの下田駐在許可を知る AN 3. 9. 7(1856 10 5sun)
朝廷(武家伝奏)が所司代を無視し、水戸京都留守居に諮問する AN 3. 9.16(1856 10 14tue)
鷹司政通が太閤となる AN 3.12. 9(1857 1 4sun)
   
武家伝奏が三条実万から広橋光成に代わる AN 4. 4.29(1857 5 20wed)
武家伝奏であった三条実万が内大臣となる AN 4. 5.15(1857 6 6sat)
ハリス、将軍家定に謁見 AN 4.10.21(1857 12 7mon)
朝廷が所司代よりハリスの江戸城入城の報告を受ける AN 4.11.10(1857 12 25fri)
朝廷は所司代よりハリスの演述書・応接書などを受ける AN 4.12. 6(1858 1 20wed)
朝廷は畿内近国に公使を置きまた開港の不可を幕府に戒諭 AN 4.12.23(1858 2 6sat)
朝廷(武家伝奏)が所司代より世界情勢より外交政策転換の書簡を受ける AN 4.12.28(1858 2 11thu)
朝廷(武家伝奏)が林大学頭より鎖国をやめることの申入を聞く AN 4.12.29(1858 2 12fri)
孝明天皇は堀田正睦が携えるであろう献物を受けないことを関白に要請 AN 5. 1.17(1858 3 2tue)
朝廷は関白以下諸役に外交処分を諮問する AN 5. 1.14(1858 2 27sat)

朝廷(天皇)は御三家以下諸大名に外交処分を諮問する

AN 5. 1.26(1858 3 11thu)
武家伝奏が通商は万国共通(林大学頭)の説明を受ける AN 5. 1.29(1858 3 14sun)
朝廷(天皇)は武家伝奏より通商は万国共通(林大学頭)の報告を受ける AN 5. 2. 1(1858 3 15mon)
堀田正睦入京 AN 5. 2. 5(1858 3 19fri)
  
朝廷(九条関白)は堀田正睦より条約の必要性を説く上奏文を受ける AN 5. 2. 9(1858 3 23tue)
朝廷と堀田正睦が日米通商について会談(本能寺) AN 5. 2.13(1858 3 27sat)
朝廷は七社七寺への攘夷祈願は効果なく高野山金剛峯寺に依頼することとなる AN 5. 2.20(1858 4 3sat)
朝議は諸大名に将軍命で再議させることを決定する AN 5. 2.21(1858 4 4sun)
朝廷の主な朝臣に脅迫状が投げ込まれる AN 5. 2.22(1858 4 5mon)
朝臣88名が結束し条約の幕府委任反対の意見書を出す AN 5. 3.12(1858 4 25sun)
朝廷は堀田正睦に条約調印の不可を指令する AN 5. 3.20(1858 5 3mon)
武家伝奏が条約調印宿継奉書を上奏する AN 5. 6.27(1858 8 6fri)
日米修好通商条約調印 AN 5. 6.19(1858 7 29thu)
横浜で貿易開始 AN 6. 6. 2(1859 7 1fri)
朝廷(孝明天皇)は攘夷を条件に和宮降嫁を認める MA 1. 6.20(1860 8 6mon)
朝廷(孝明天皇)は和宮降嫁許可の宸翰を下す MA 1. 8.18(1860 10 2tue)
朝廷は事前に幕府承認なく勅使派遣の勅命を下す BU 2. 5. 6(1862 6 3tue)
朝廷は攘夷を決定する BU 2. 9.21(1862 11 12wed)
朝廷に国事御用掛を置き新体制が踏み出す BU 2. 12. 9(1863 1 28wed)
  
和宮入輿(家茂と婚礼) BU 2. 2.11(1862 3 11tue)
朝廷は島津久光に浪士鎮撫の功を嘉す勅書を与える BU 2. 4.25(1862 5 23fri)
朝廷は大原重徳勅使の5月中旬発足を沙汰する BU 2. 5. 8(1862 6 5thu)
朝廷は勅使及び島津久光の出発を許可する BU 2. 5.20(1862 6 17tue)
朝廷に国事参政と国事寄人の職が置かれる BU 3. 2.13(1863 3 31tue)
朝廷は攘夷につき草莽まで学習院へ意見を述べるよう達す BU 3. 2.18(1863 4 5sun)
朝廷は国事掛を見直す BU 3. 2.18(1863 4 5sun)
朝廷は足利木像事件の浪士出牢を伝える BU 3. 3. 6(1863 4 23thu)
朝廷は将軍への大政委任を否定する BU 3. 3. 7(1863 4 24fri)
朝廷は御親兵を徴募する BU 3. 3.19(1863 5 6wed)

朝廷は一橋慶喜の後見職辞任を却下(任命は誰か?)

BU 3. 6. 1(1863 7 16thu)
朝廷は松平容保の江戸行を命ずる(翌日撤回) BU 3. 6.25(1863 8 9sun)
朝廷は松平容保の江戸行の命は真勅ではないと連絡 BU 3. 6.26(1863 8 10mon)
薩英戦争 BU 3. 7. 2(1863 8 15sat)
朝廷の攘夷監察使国事寄人正親町公菫が山口に到着する BU 3. 7. 6(1863 8 19wed)
朝廷(武家伝奏)は紀州・播磨防衛の勅命を直接外様大名に出す BU 3. 7.23(1863 9 5sat)
朝廷は松平容保に軍隊操練を天覧に供するよう勅命 BU 3. 7.24(1863 9 6sun)
朝廷は三港閉鎖令を幕府に伝達する BU 3. 8. 4(1863 9 16wed)
朝廷は攘夷親征の詔勅を発布 BU 3. 8.13(1863 9 25fri)
朝廷(関白鷹司輔熙)は攘夷親征を沙汰する BU 3. 8.14(1863 9 26sat)
    
8・18政変 BU 3. 8.18(1863 9 30wed)
朝廷は大和行幸をやめ、参政、寄人を廃止する BU 3. 8.18(1863 9 30wed)
朝廷は攘夷期限を幕府に督促 BU 3. 8.19(1863 10 1thu)
朝廷(孝明天皇)は8月18日以降が真の詔勅と表明 BU 3. 8.26(1863 10 8thu)
朝廷(孝明天皇)は島津久光に政局運営について諮問する BU 3.11.15(1863 12 25fri)
第一次征長発令 BU 4. 2.11(1864 3 18fri)
朝廷は庶政を幕府へ委任するとの朝旨を下す GE 1. 4.20(1864 5 25wed)
朝廷は全ての政事を更に幕府に委任するとの聖勅を下す GE 1. 4.29(1864 6 3fri)
朝廷より長州藩追討令がでる GE 1. 7.18(1864 8 19fri)
禁門の変 GE 1. 7.19(1864 8 20sat)
朝廷は長州藩追討の勅命を幕府に下す GE 1. 7.23(1864 8 24wed)
四カ国艦隊下関砲撃開始 GE 1. 8. 5(1864 9 5mon)
第二次征長軍江戸出発 KE 1. 5.16(1865 6 9fri)

朝廷で二十二廷臣の列参

KE 2. 8.30(1866 10 8mon)
朝議で天皇の大喪により九条尚忠らの赦免追放が解除になる KE 3. 1.15(1867 2 19tue)
朝廷は兵庫開港を勅許 KE 3. 4.24(1867 5 27mon)
大政奉還 KE 3. 10.14(1867 11 9sat)
朝廷は大政奉還の上表を勅許 KE 3. 10.15(1867 11 10sun)
  
王政復古の大号令 KE 3. 12. 9(1868 1 3fri)
朝廷は徳川慶喜の辞職を許し辞官納地を命じる KE 3. 12.10(1868 1 4sat)
朝廷は大政復古を列藩に布告する KE 3. 12.14(1868 1 8wed)
朝廷は徳川慶喜以下27名の官位を奪い旧幕領を直轄とする KE 4. 1.10(1868 2 3mon)
朝廷は太政官代を九条道孝邸に設置する KE 4. 1.13(1868 2 6thu)
朝廷は天皇の大坂親征・関東征討に大兵派遣を決定 KE 4. 1.28(1868 2 21fri)
朝議は大総督宮稟議の徳川家処分案大綱を容れることに決する KE 4. 3.20(1868 4 12sun)
江戸城開城 KE 4. 4.11(1868 5 3sun)
朝廷は3563樽の酒と、土器の盃を東京市民に振舞う ME 1. 11. 6(1868 12 19sat)

項目は「幕末資料庫(閲覧登録必要)」より随時取り出し、この年表に追加しています。


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