Essay幕末物語幕末千夜一夜

No.80 わずか14年間で朝廷大変身 2011.1.28


花鳥風月の世界からドロドロ世界で政権奪取、そのきっかけは

学問(花鳥風月の風流が中心)が仕事として規定されていた天皇・朝廷がペリー小艦隊来航(1853)から、そのご威光が輝きはじめ、わずか14年間で徳川将軍から大政を奉還(返還、1867)されてしまったのです。朝廷の大変身です。まるで小川で遊んでいた子供が時化もある海に引っ張り出されたようなものでしょう。


朝廷が政治の舞台に現れてくるきっかけ、端緒を探ってみました。黒船来航への対応策を幕府老中阿部正弘が広く各界へ諮問したことが朝廷を目覚めさせるきっかけと言われていますが、単に諮問に答えるだけでは済まない事態を呼び込んだのかもしれません。

従来、「一 天子諸芸能の事、第一御学問也。」と「禁中並公家諸法度」にあるように、天皇及び公家の仕事は学問であると規定されており、長く朝廷は政治的活動ができにくい環境におかれていたのです。
ペリー小艦隊が浦賀に現れるまで、幕府は朝廷に対して外交的大事件でも報告はしなかったようですし、朝廷側も催促しなかったようです。当時の関白鷹司政通が次のように言っていることから類推できます。

鷹司政通は 、京都所司代脇坂淡路守が参内しペリー提督が持参した米国国書の訳文を提出した嘉永6年7月12日の翌日、「昨夜(12日)つらつら往昔を勘ふるに、毎度呈書他邦国史にて所見候。」と言っております。
これは、朝廷が幕府から外交事件について報告を受けることはなく、他国の文書により知る状態であったとの意味と思われます。例えば蒙古襲来の詳しい情報は幕府から朝廷に報告されず、元の史書で詳しいことを知ったと言っております。「三条実万公(当時武家伝奏)手録」


ところが今回のペリー提督浦賀来航の場合は違っています。

京都所司代脇坂淡路守が朝廷に参内して米国国書の訳文を提出しているのです。これは江戸幕府の老中指示になっているので、幕府の対応が従来とは大きく違っています。
加えて、幕府の対応姿勢をも説明しているのです。すなわち、所司代より「此の度亜墨利加船持参の書翰、浦賀表に於て請け取り候儀は、全く一時の権道に有之候間、此の段心得までに年寄共より申し越し候事。」 米国国書を受け取ったのは、一時の方便であると幕府の考え方を知らせております。
これが朝廷に対する「言い訳、なだめ」なのか、それとも幕府の「政策・姿勢を吐露」したものなのかはわかりませんが、いずれにしても幕府が朝廷に気をつかっていることは確かです。

加えて、幕府は朝廷に提出した米国国書の訳文に書簡を添えております。
この書簡で、米国国書は将軍を日本国皇帝と見ているが、外国人の認識不足であると、わざわざ注釈しているばかりか、米国国書の中に米国からの贈り物があると記述されているが、今回は間に合わなかったため持ってこなかったと説明しております。(贈り物は本来朝廷が受け取るべきものであると認識しているのです。幕府は朝廷に遠慮している、あるいは朝廷に一目置いている印象です。)幕府は朝廷に相当気を使っているのです。外交案件を報告しなかった昔とは格段の違いです。


これらを受けて朝廷の態度も変わってきました

衝撃のペリー小艦隊来航からほぼ1ヶ月を経過した嘉永6年7月13日に、朝廷では関白鷹司政通と武家伝奏三条実万が京都所司代脇坂淡路守がもたらした米国国書の取扱について話し合っております。この話し合いが「三条実万手録」として残っております。

「・・その大略(関白鷹司政通の意見概要)左の如し。一件(外交政策案件)処置は、当時関東商量(幕府の計らい)の間、朝廷に於て左右する能はざるか。(外交政策は幕府の担当であり、朝廷で決めることはできないであろう)。 但し関東評議、今度乞ふ所の事許容あるか、又承引(聞き入れる)なきか。その次第如何。
(但し、幕府の評議で、今回、要請することが許されるのか、聞き入れらないのか。事と次第がどうなのであろうか)。
朝廷は幕府の対応が今までとは少し違っていると認識しはじめております。

そして、鷹司関白は、万一関東から宸裁を請われることもあるであろうから、朝廷でも所見を一定にしておきたいと提議している。(議奏・伝奏を呼んで提議)。関白鷹司政通は幕府の朝廷に対する対応が変わっていると実感した証拠と思われます。幕府が朝廷から意見を聞くかもしれないと感じ、その対応を考慮しているのです。


中阿部正弘の諮問が朝廷を目覚めさせる引き金になったと思われますが、
ただ、諮問に対し各人別々の意見を提出させることではなく、朝廷の意見を統一すべきとしていることに注目です。

ここに政治的意図(往事のような政権復帰期待)があるようです。朝廷は腐っても鯛なのです。

そして幕府の態度が従来とは大きく変わっているのです。
黒船来航が幕府を大きく変えたのでしょうか、それとも黒船来航前からきざしがあり、具体化させたのが黒船だったのでしょうか。

それからしばらくして、朝廷は形骸化していた太政官符を公布(形として政令二途(幕府と朝廷)となる可能性)するのですが、これについては別途とします。


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