No79.天保の改革は何をどのように改革したのでしょうか。
女髪結い禁止は改革か?
2010.9.10


江戸時代の三大改革と呼ばれるのは、享保の改革、寛政の改革、そして天保の改革ですが、他の改革は、さて置いて、
天保の改革は何をどのように改革したのでしょうか。


「此天保の改革ほどめざましきものはなし、むかし享保・寛政の御改革をいみじき事にききわたりしかど、此度のごとくはあらじと思う。俄に事あらたまりて士農工商おしからめておののくばかり(寝ぬ夜のすさび)」と言う評価があり、半端なものではないようです。しかし、「御趣意(改革)とかけて、石臼と解く、心は、上が回って中が粉になり下が回らぬ。」と皮肉一杯です。政策に皮肉がでるのは、「もっとやることがあるのに、なんでつまらないことをするのか」という庶民の見方が背景にあるのでしょう。


天保時代に施行された種々なお触れの中から改革らしいものを探します。まず女髪結いの禁止です。
幕府布令の「祭礼緊縮令と言われるお触れ」と曲亭馬琴が記した天保の改革の有様から拾ってみます。


まず女髪結いの厳禁です。違反すれば召し捕られ手鎖です。「私は禁止と聞いていません」と言わせないように、町中路地に「女髪ゆい入べからず」とう張札をするという徹底ぶりです。(出張、出前の髪結いの出入り禁止です)

そもそも女髪結いというのは

天保の頃は女性(賤しき裏屋の女房を含め)は自分で髪を結うことがなくなり女髪結いに依頼するのが普通であったようです。ついでに言うと、弘化年五月では、武家・町家どちらにも女髪結いが出入りしているようです。ようするに店を持たないで出張営業(俗に廻り髪結い)もするのです。そして、嘉永六年五月に女髪結いの数を調査したようで、「探索および候処、惣人数千四百人余も有之哉に相聞・・」という報告があります。天保の改革で規制しても、女の性(サガ)には勝てないのです。

禁止理由のヒントになるかもしれないのですが、天保12年11月24日に水野越前守忠邦の指示により、北町奉行遠山左衛門尉景元(桜吹雪の遠山の金さんのようです)が「風俗上取締りの対象」の一つとして上げております。女髪結いは風俗を乱すものらしいのです。

その他の風俗を乱すものとして上げられているものを列記すると、隠売女(私娼)、女浄瑠璃、無商売のごろつき、賭博、花会、入墨、顔を隠す冠もの、彩色の大凧、富札興行、合巻(ごうかん、絵草紙を合わせたもの)、絵草紙、人情本などがあります。

女髪結いは現代の「美容院」相当すると思いますが、曲亭馬琴は「御善政」として褒めております。女性の髪を結う女性の仕事を禁止するのを歓迎しております。なぜでしょうか。

大日本近世史料市中取締類集22によると、女髪結について、妻に稼がせて無職でいる夫は取り締まるべきではないか、としています。
ようするに「髪結い亭主」は、好ましくない対象で規制の対象になったのです。暇のあるご亭主は種々問題を起こして、社会的に批判されていたのでしょうか。そして現代にはない「出張」髪結いも、何か好ましくないことがあるようです。

「旦那(髪結い亭主殿)さん、今夜もあちらですか。」「いや、ちょっとね」、これを「改革」してやめさせようとしたのでしょうか。女髪結いの禁止を「改革」の一部と位置付けるのは、生活スタイルの「改革」なのでしょうか。


モノの本によると、「天保12年に行われた「天保の改革」は物価高規制のための国民の需要抑制の意味合いが強く、特に倹約令と風俗粛正を基本政策としていたようです。」との見方が一般的です。あれをするな、これをするなという規制が強く、どうも何をどう改革したという施策が表に出て来ません。倹約と綱紀粛正が改革になっているようですが、ちと「改革」とは違う印象です。


まして、天保の改革の上意は、享保・寛政の制に則ることと言っております。「改革」という言葉を使うのが適当なのでしょうか。
でも、天保の時代の人が「改革」と言っておりますので、「改革」の意味が現在とは違うかもしれません。

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